Diary 2006. 9
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9月1日 (金)  スフィンクスの話、知ってる?

私が、ギリシャ神話が好きな理由は、怪物が登場するからだ。私は怪物が好きで、ウルトラマンなどの円谷シリーズでも、ウルトラなんたらよりも、バルタン星人やメトロン星人などの怪獣が好きだった。以前の項にも書いたが、天使よりも悪魔が好きだ。
正義の味方や天使は、言う事もやる事もワン・パターンで退屈な奴等だが、怪獣や悪魔は、それぞれの存在が個性的で、間抜けな奴も狡猾な奴も、読んだり見たりしていても楽しいし、ほんの少しの悲哀があって退屈しない。そして、こういった敵役が個性的で強くないと、物語も番組も面白くないのは、現代の大河ドラマやアニメーションでも同じである。

さて、ギリシャ神話で私がご贔屓の怪物ナンバー2は、メデューサ。黄金の翼と蛇の髪、全身鱗で覆われており、猪のような牙を持っていて、見た者全てを石に変えてしまう邪眼を持っている。ステンノー、エウリュアレという同じ容姿の2人の姉がいて、ゴルゴン3姉妹と呼ばれ恐れられている。
この3姉妹は、冥界の王ハデスとその妹ケトの間に生まれた、元々は美しい娘達であった。だが、メデューサが女神アテナの神殿で、海王ポセイドンと逢引をして交わった事を、アテナが神殿を汚す行為と怒り、ポセイドンの妻アンフィトリテと共謀して、醜い怪物に変え、地の果てに追い払われてしまう。この仕打ちに抗議した姉達も同じ様に姿を変えられ、メデューサとともに追放される。
メデューサはこのとき妊娠しており、後に英雄ペルセウスに首を切られた時に、飛び散ったその血黙りから、天馬ペガサスが生まれるのだ。
まず、ギリシャ神話の特長は、男神の奔放さと女神の嫉妬深さだ。ゼウスの妻ヘラをはじめ、ギリシャの女神は、夫の前では何事も無い顔をしていても、裏でキッチリ泥棒猫をシメていたりして恐ろしい。
このメデューサも、容姿と能力は恐ろしくて、ペルセウスが盾を鏡に使って邪眼を避けながら恐る恐る近付くシーンにはドキドキさせられるが、そんな怪物になった経緯は悲しい。しかも、アテナはメデューサを怪物にした上で、最初から殺すつもりだったらしく、姉二人は不死なのに、彼女だけは不死でない。ペルセウスにメデューサ退治を焚きつけるのもアテナだ。そして、この恐ろしくも悲しい怪物の死から、美しい白い天馬ペガサスが生まれ出る劇的なこと、古代ギリシャ人の悲喜こもごもをバランスさせるセンスは、まったく素晴らしいと思う。

さて、本日のお題、スフィンクスである。私が好きなギリシャ神話の怪物ナンバー1。
怪物テュフォンとエキドナの子と言われるが、まず容姿がいい。美しい女性の顔に獅子の身体、そして鷲の翼を持っている。しかも、この怪物は人を喰うのだ。
だが、猛獣のようにただ喰う訳ではない。人間に謎(問い)を出し、答えられない間は1日に1人の人を喰う。スフィンクスは本質的に知の存在であり、人間に知的な戦いを挑み、その結果として怪物性を発揮するのだが、人間に謎を解かれると死なねばならないという、相反性の宿命という儚さも背負っている。
テーベの町に現れたスフィンクスは、謎を出して解かれるまで1日に1人の人を喰った。この謎はよく知られているので、ご存知の方も多いだろう。「朝には4本足、昼には2本足、夕暮れ時には3本足で歩くものは何か?」というものだ。知力、胆力に優れ、容姿も美しいオイディプスという若者が現れ、「答えは人間である。生まれてすぐは4つ足で這い、長じて2足歩行し、晩年は杖を使うからだ」と答え、スフィンクスを死に至らしめるというものだが、実は、ギリシャ語の原典には、こう書かれているものは無いのだ。
実際は、「2本足でも4本足でも3本足でもあり、声は一つ、陸、海、空に存在する生物の中で、唯一その本質を変えるものは何か?」というのだ。答えが想像できるだろうか?
オイディプスは、これに対して己を指さす。この答えには、怪物よりも怪物じみて本質を変える人間と、その具体的な生涯を背負ったオイディプスの運命が織り込まれていたのである。
オイディプスは、テーベの王を殺してテーベを蹂躙していた征服者を倒し、王の未亡人を妃として、新しいテーベの王になる事になっていたが、なんという運命の皮肉か、征服者は彼の父、王の未亡人は彼の母だったのだ。オイディプスに関しては、オイディプス(エディプス)・コンプレックスという言葉の原典となったこの出来事はよく知られているが、古代ギリシャの人倫において、ファーザー・キラーとマザー・ファッカーは、けだものにも劣る最低、最悪の蛮行者であった。オイディプスは、まさに人間(2本足)でありながら、けだもの(4本足)的存在となってしまったのである。
知らずにこの行為を犯してしまったオイディプスは、自らの行為に絶望を感じて目を潰してしまう。今度は杖の必要な盲人、3本足になってしまった訳だ。
けだものとして人々に石を投げられ、唾を吐かれながら、乞食として旅を続けたオイディプスは、その辛い運命に雄々しく耐え続け、遂に神となったという事になっている。
オイディプスは、人であり、けだものであり、神格ですらあり、2本足でも3本足でも4本足でもある、その本質を変える、ある意味でスフィンクスよりも大きな怪物性を有した男だったのだ。自らを指さし、自らの怪物性に人間を代表させる事によって、オイディプスはスフィンクスを葬ったのだ。
この物語は、人間が勇気と努力を以って知恵を振り絞れば、例えどんな怪物でも倒す事が出来るという、人間の能力の素晴らしさを語ると共に、その素晴らしい能力が、素晴らしさ故に、時に怪物よりも怪物性を発揮してしまい、大きな悲劇を招いてしまうという現実とその戒めを語ってもいるのだ。
ギリシャ神話は、同じ事象を必ず表裏2面から表現する。そして、悲と喜や明と暗でバランスさせた物語にしている。古代ギリシャ人は、人間性というものをよくよく見つめる人達であったのだろう。それも、悲愴にではなく、どちらかといえば享楽的に。そうでなければ、こんな物語や、星座なんて創れはしないだろう。そして、よくも物語に似合った容姿の怪物を思いつくものだ。やはり、このオイディプスの物語の怪物は、スフィンクスでなければしまらない。


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