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1月31日 (水) 納豆と風林火山。
納豆で痩せるというインチキデータが世間を賑わしている。 いや、後から出るわ出るわ、インチキデータのオンパレードである。 番組制作者のモラルの低さたるや、全く言葉を失ってしまう。
しかし、騙されて納豆を喰いまくった視聴者に対しても、気の毒だと同情する気にはなれない。元々、楽して痩せようなどと都合のいい事を考えているからそんな目にあうのだ。せめて、それが信頼できる情報なのかどうかを自分で確認するくらいの理性は持っていて欲しいものだ。 私のサイトを見て下さる方には、自転車乗りの方が多いから、考えてみて欲しい。ちっとも練習せずに登りがガンガン強くなる薬が存在したら、それが事実なら、みんな飲むだろう。私だって欲しい。しかし、そんなものは存在しないのだ。登りに強くなりたければ地道に練習して、筋力、筋持久力、心肺機能の強化に努めるしかないのだ。 美味しい思いをしてブクブクと太り、更に美味しい思いをして美しい体型さえも手に入るなどと、そんな都合のいい話がある訳は無いのだ。甘えるなと言いたい。
いったい何時から、こんなにテレビ放送を真に受けるようになってしまったのか。私が子供の頃には、楽しくても信の於けないメディアとして認識されていた記憶があるのだが。 新聞をはじめとする報道も、日本の報道機関は、歴史的に権力に対抗して事実を報道して来たことは皆無で、常に政治的圧力に屈し、虚構を広めてきた。その意味で、日本にはジャーナリズムなんぞ存在しないはずだろう。
それで気になるのは、大河ドラマや歴史小説を読んで、それを歴史的事実と思っている「大人」がとても多いと言う事だ。豊臣秀吉が針売りをしていたとか、徳川家康が人質時代に合戦ごっこの勝敗を当てた、などというのは、みんな小説的創作なのだ。当時の、一大勢力家であった今川や三好の当主の記録が無いのに、同じ時期に全くの無名、微力であった家康や秀吉の幼少年期の記録など有る訳が無い。 これらは、当人が権力者になってから、祐筆などの側近衆に創作させた「物語」であり、時事的な符牒を合わせて、さも記録的に書かれている為に、事実と誤解しがちでは有るが、さしずめ現代で言えば、経営者や政治家が出版する自伝的なものである。そういったものが、どんなに虚構に満ちていい加減なものであるかは、良くご存知の事と思う。まあ、現代のそういったものに比べれば、緻密だしセンスもいいし、インテリジェンスも感じられるし、楽しく読める価値はあると思うのだが・・・。 今年の大河ドラマは、「風林火山」だ。武田信玄の諜報活動を担当したと言われる、山本勘助が主役だそうだ。 この、「風林火山」は、所謂孫氏の兵法の軍隊の行動・進退を説いた部分で「其疾如風 其徐如林 侵掠如火 知難如陰 不動如山 動如雷霆」と書かれているのが出自で、この中から「其疾如風 其徐如林 侵掠如火 不動如山」の四つを抜き出してスローガンにしたものだ。 最初に旗印にしたのも、信玄ではない。最も古い記録は、南北朝期に、南朝の公卿将官で奥州探題となった北畠顕家が使用したとあり、他にも、信玄と同じ戦国武将では、松永久秀などが使用している。孫氏の兵法や太公望呂尚と留候張良子房の六韜三略などは、戦国時代には武将の常識として広く知られており、特に注目すべきものでもないのだ。
ところで、この「風林火山」であるが、精強な武田騎馬軍団のイメージがあり、いかにも勇武なイメージで、信玄ファンの年配の方は、必ずと言ってよいほど自慢げにこれを唱えられるが、実際、それほど自慢できるようなご立派な事ばかりでもない。 皆さんは、「其疾如風 其徐如林 侵掠如火 不動如山」をどう読まれるだろうか?多分、こうではなかろうか?「其のはやきこと風の如く、其のしずかなること林の如く、しんりゃくすること火の如く、動かざること山の如し」と。 ここで、火の部分である。他の部分の、〜することの前の部分は全て訓読みなのに、なぜ、火の部分だけ音読みなのか?では、訓読みではどう読むのか?「おかしかすめとる」と読むのだ。つまり、 「其のはやきこと風の如く、其のしずかなること林の如く、おかしかすめとること火の如く、動かざること山の如し」が正しい。 どう呼んでも意味は同じなのだが、イメージとして「しんりゃく」というと、なんとなく、大規模に勢いよく攻めるイメージがある。映画で宇宙人が侵略してくる、などというと、宇宙船の船団が大挙して攻めて来る感じがする。 「火のごとくしんりゃくする」というと、山火事か噴火の様に(事実、以前の大河ドラマ「武田信玄」のオープニング画面では、火の部分には噴火の映像をあてていた)、怒涛の如き攻撃をイメージしてしまうが、正しい意味は「おかしかすめとる」なのである。これは、火事がちょっとした隙間や、電線などを伝って、気が付かないうちに伝播していき、気が付いた時には、手の施しようがなくなっているという、そんな攻め方のことなのだ。
そもそも古来中国では、「兵法とは奇道なり」と言う。奇道というのは、三国志の諸葛亮孔明のように、様々な作戦や戦術をめぐらす事でもあるが、「人倫にもとることもする」ということでもあるのだ。 孫子や六韜三略を読んで見られるといい。欺き方、騙し方、詐欺の手口書かマキァベリズムの指南書か、と言った内容である。 人倫にもとることであるから、戦国でもない現代において、自慢げにのたまうような内容ではないのだが・・・・(笑)。これでは、信玄公もうかばれまい。 こういう方々は、よく「背水の陣」だの「故郷に錦を飾る」だのとおっしゃるが、その出自はご存知でおっしゃっているのだろうか??? 以前、某国立大学で教鞭をとられ、現在は議員として国際関係の仕事をされている、皆さんよくご存知のMさんが、「フランス革命も知らない人間に、フランスの社会学など解る訳がないし、教えられない。」とおっしゃっていた。これに尽きる。
では、なぜ信玄はそんな内容のものを旗印にして、スローガン化したのだろうか??? ここからは私の個人的意見だが、信玄の性格と武田家の家風は、厳格にして堅実だ。これは、法令や命令の記録を見ればわかる事だが、反面、応用性というか即応性に乏しい面が多い。 そのために、自らにも家臣に対しても、臨機応変と機略縦横な部分を鍛えるべく、家中のスローガン或いは戒め的な意味合いをもって、旗印にしたのではないだろうか。 とりわけ、半生を長尾景虎という、神がかり的な天才的戦術家と争っていたので、「風林火山」の気構えが常に必要だったのであろう。
蛇足だが、日本では古来「兵法」と言えば、戦闘術、いわゆるチャンバラのことであって、中国的な意味合いで使われ出すのは、時代がだいぶ下ってからである。 そして、山本勘助が、青年時代に浪人し、田舎で畑を耕していたというのも、伝説もしくは創作である。嘘とも言えないが、決して事実とは言えないレベルである。細かい事は何もわかっていない、つまり、詳らかでないのだ。もっと言えば、片目で片足が不自由だったというのも、伝承であって確たる記録が有る訳ではない。
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